幸せと不幸は同時にやってくる(長崎食レポ)

さて、こんな時間に筆を取ろうと思う。
今日はほんとうにたまたま、長崎泊になった。

競艇場を後にし、
大村から揺れるバスの中で思い出したことがあった。
以前たまたまイベントでお会いした宇田川先生のことだ。
『長崎に行く際は美味しいお店を紹介するのでぜひご連絡を。』
そう、宇田川先生は以前長崎大学で教鞭を取られていたのだ。
何の気なしに連絡すると、宇田川先生からいくつかのお店を紹介していただいた。
 
急遽青木の相手をすることになったのは長崎でドットジェイピースタッフとして活動している学生、田中和人。集合時間は22時。
 
ちゃんぽんも食べたかったのだが、時間が時間だ。諦めるしかない。

寝落ちしそうなところをなんとか我慢し、そこで向かったのが一軒目。
 
雲龍亭だ。
一口餃子が有名な店らしい。
メニューはA4一枚にまとまっている、といえば聞こえはいいが、10種類もない。
 
『メニューが少ない店は美味い』
 
青木の経験がそう囁いた。
 
我々は一口餃子とブタニラを注文した。

f:id:gohandesuyokun:20180120022556j:plain

先に現れたのはブタニラだ。
 
一般的に人間は視覚から情報を取り入れ、脳で編集し、それが何かを判別。記憶を呼び起こして、そこに関連付けられている反応を呼び起こす。
 
諸君には少し難しいかもしれない。
この時起きたのはそんな次元の話だ。
 
見た瞬間に箸が動く。
 
そんな経験をしたことがあるだろうか。
達人同士の立会では本能的に相手の間合いに入らないように身体が動くという。
まさにその域である。視覚情報から様々な工程をバイパスし、いきなり反応に入ったのだ。
「香りはどうしたww」
などという野暮なことをのたまう人間がいるかもしれない。
視覚情報である光と、嗅覚細胞に付着することで初めて感じる化合物では当然光の方が早い。中学校の科学からやり直すといい。
 
 
そう、プルップルの卵と芳醇な香りのごま油、そして肉である。
結果は
 
ビールが吸い込まれた。
 
そう、次の瞬間私のビールは半分になっていた。
おわかりいただけるだろうか、この恐怖。
 
こんな美味しそうな面構えをしていながら、その実ブラックホールだったのだ。
 
しかし、雲龍亭の攻勢はここで止まなかった。
 

f:id:gohandesuyokun:20180120022903j:plain

 
おわかりいただけるだろうか、これが一口餃子である。
それも二皿目。
 
そう、気づいたときにはビールはおろか、餃子そのものすら皿から姿を消す。ニラの味がかなり効いていて、まず我々は次の日女性と話すことを諦めた。
 
餃子を一口放り込むとビールが二口消える、そんな不思議な餃子であった。
しかしこの一口餃子にはもう一人の支援機、ガンダムでいうところのガンタンクが存在していた。
 
そう、柚子胡椒である。
 
通常の柚子胡椒は限りなく黒に近い黄色であるが、ここの柚子胡椒は赤い。唐辛子かというとそうではないし、なによりしつこくないのだ。この柚子胡椒だけでビールもご飯も食べられる。
 
餃子と柚子胡椒の連携の取れた十字砲火により、我々のビールは跡形もなく消えてしまった。
 

長崎に住んでいないのが不幸になる味。

私はそう言い残して店を後にした。

 
しかし、我々のミッションはこれで終わらない。
 
 
二軒目だ。
 
実は一軒目に行こうとしていたのだが、店が見つからず後回しにしたのだった。
 
これが幸運であった。
 
雲龍亭は営業時間が短く、一軒目にこちらに行っていたらあのビールブラックホールに行けなかったのである。
 
 
僥倖。
 
そして努力。
 
二軒目のために、我々は餃子にご飯という最終兵器の使用を思いとどまった。
ここで餃子にご飯を食べては我々の腹も心も満たされ、何もできないと直感的に悟ったのである。
それは多分に魅力的であった。
 
しかし、我々が目指すものは喉の渇きを潤す一杯の水ではない。
滾々と湧き出るオアシスを探す旅に出たのだ。
ここでその旅を終わらすわけにはいかない。
それこそ、石清水参りである。
 
 そんな葛藤をくぐり抜けた先に。
そう、二軒目の名は漁火という店だ。
 

f:id:gohandesuyokun:20180120023512j:plain

 
 
ウチワエビ、というエビらしい。
どうも身が少ないし、なんだこの変な形のエビは。だいいち高い。
しかし宇田川先生がおすすめするこのエビを食べないことにはこの店を後にすることはできないだろう。なぜなら我々は一軒目で宇田川大先生の味覚にオトサれているからである。
 
いざ、実食。
 

プリップリである!

 
このウチワエビを評するにはこれだけで十分だ。
そう、かつてないプリップリなのだ。
口の中で踊る。
ふとまたその姿を見ているとなんと雄々しいのだろうか。
天に向かってその腕を突き出し、なんとまだ動いているではないか。
生への渇望を抱きながら、今まさに我が身体の一部にならんとしているのである。
それはプリップリになって至極当然であろう。
 
さて、そのエビに長崎の甘い醤油をつけて食す。
 
もう、ワオ!!
ワオ!!って感じ。
お口の中がワンナイトカーニバル。
 
しかしこれでは終わらないのがウチワエビなのか、宇田川先生。
 
「お味噌汁にしてくれるはずです。」
 
私はすでにウチワエビをはじめとした刺盛りで出てきた長崎の海の幸の波状攻撃を受け、心神喪失状態にあった。そこに悪魔の囁きが響く。
 
 

「お味噌汁にしますか?」

 
 
ここでノー、と言える人間がいるだろうか、いや、いない。
エデンを外側から見たものは、中に入ってみたいと考える。
いくら触れてはいけないと言われても、その実に手を伸ばす。
 
人間とはそういう生き物なのだ。
抗えないものの前で人は無力であることは歴史が証明している。
 
我々はついに、禁断の果実に手を伸ばした。

f:id:gohandesuyokun:20180120024141j:plain

この紅々とした輝き。
赤備えで有名なかの武田騎馬軍団がその旗印にしようと思ったのではないかと歴史のロマンに意識が飛ばされそうになる。
 
恐る恐る一吸いした瞬間。
 
 
僕の意識は無限の彼方へ飛ばされていた。
 
 
“甘いものが好き”という人は多い。
しかし、だいたいそういうことを言う人間の頭はポッピンシャワーである。
低温状態では感じにくくなる甘味を、砂糖や脂肪をボディブローのようにこれでもかと効かせたものを“甘いもの”と勘違いしている。
 
甘味とは何か。
 

甘味とは、包容力である。

 
人は幸福を知る時、同時に不幸になる。
“出会わなければよかったのに―”
今までにどれだけの人がこの想いを抱いただろうか。
 
出会ってしまった幸福が、
逢えない不幸が、その後の人生に容赦なく現実を突きつけてくる。
あぁ、なんと我々は幸福であり、不幸な存在なのだろうか。
 
幸福も不幸も、共に人生のスパイスなのであることを教えてくれた―。
 
 
このあたりで、私の語彙は目の前の世界を捉えることをやめた。
 

f:id:gohandesuyokun:20180120025032j:plain

生前はこんな感じだそうだ。エビか?カブトガニの仲間ではないのか?なんて疑問はもうどうでもいい。

 

最後はいつものバーで。
近況を聞いていただきながら。

 

f:id:gohandesuyokun:20180120030034j:plain


日々の生活に疑問を感じている人も読者諸君にはいるかもしれない。

しかし、今の人生を悩む必要も、ましてや人生を変える必要などない。

 
 長崎の食にどっぷり浸かる。
 
それだけで、世界が変わるのだ―。
 
宇田川先生、ありがとうございました。

幸せと不幸は同時にやってくる(長崎食レポ)

さて、こんな時間に筆を取ろうと思う。
今日はほんとうにたまたま、長崎泊になった。

競艇場を後にし、
大村から揺れるバスの中で思い出したことがあった。
以前たまたまイベントでお会いした宇田川先生のことだ。
『長崎に行く際は美味しいお店を紹介するのでぜひご連絡を。』
そう、宇田川先生は以前長崎大学で教鞭を取られていたのだ。
何の気なしに連絡すると、宇田川先生からいくつかのお店を紹介していただいた。
 
急遽青木の相手をすることになったのは長崎でドットジェイピースタッフとして活動している学生、田中和人。集合時間は22時。
 
ちゃんぽんも食べたかったのだが、時間が時間だ。諦めるしかない。

寝落ちしそうなところをなんとか我慢し、そこで向かったのが一軒目。
 
雲龍亭だ。
一口餃子が有名な店らしい。
メニューはA4一枚にまとまっている、といえば聞こえはいいが、10種類もない。
 
『メニューが少ない店は美味い』
 
青木の経験がそう囁いた。
 
我々は一口餃子とブタニラを注文した。

f:id:gohandesuyokun:20180120022556j:plain

先に現れたのはブタニラだ。
 
一般的に人間は視覚から情報を取り入れ、脳で編集し、それが何かを判別。記憶を呼び起こして、そこに関連付けられている反応を呼び起こす。
 
諸君には少し難しいかもしれない。
この時起きたのはそんな次元の話だ。
 
見た瞬間に箸が動く。
 
そんな経験をしたことがあるだろうか。
達人同士の立会では本能的に相手の間合いに入らないように身体が動くという。
まさにその域である。視覚情報から様々な工程をバイパスし、いきなり反応に入ったのだ。
「香りはどうしたww」
などという野暮なことをのたまう人間がいるかもしれない。
視覚情報である光と、嗅覚細胞に付着することで初めて感じる化合物では当然光の方が早い。中学校の科学からやり直すといい。
 
 
そう、プルップルの卵と芳醇な香りのごま油、そして肉である。
結果は
 
ビールが吸い込まれた。
 
そう、次の瞬間私のビールは半分になっていた。
おわかりいただけるだろうか、この恐怖。
 
こんな美味しそうな面構えをしていながら、その実ブラックホールだったのだ。
 
しかし、雲龍亭の攻勢はここで止まなかった。
 

f:id:gohandesuyokun:20180120022903j:plain

 
おわかりいただけるだろうか、これが一口餃子である。
それも二皿目。
 
そう、気づいたときにはビールはおろか、餃子そのものすら皿から姿を消す。ニラの味がかなり効いていて、まず我々は次の日女性と話すことを諦めた。
 
餃子を一口放り込むとビールが二口消える、そんな不思議な餃子であった。
しかしこの一口餃子にはもう一人の支援機、ガンダムでいうところのガンタンクが存在していた。
 
そう、柚子胡椒である。
 
通常の柚子胡椒は限りなく黒に近い黄色であるが、ここの柚子胡椒は赤い。唐辛子かというとそうではないし、なによりしつこくないのだ。この柚子胡椒だけでビールもご飯も食べられる。
 
餃子と柚子胡椒の連携の取れた十字砲火により、我々のビールは跡形もなく消えてしまった。
 

長崎に住んでいないのが不幸になる味。

私はそう言い残して店を後にした。

 
しかし、我々のミッションはこれで終わらない。
 
 
二軒目だ。
 
実は一軒目に行こうとしていたのだが、店が見つからず後回しにしたのだった。
 
これが幸運であった。
 
雲龍亭は営業時間が短く、一軒目にこちらに行っていたらあのビールブラックホールに行けなかったのである。
 
 
僥倖。
 
そして努力。
 
二軒目のために、我々は餃子にご飯という最終兵器の使用を思いとどまった。
ここで餃子にご飯を食べては我々の腹も心も満たされ、何もできないと直感的に悟ったのである。
それは多分に魅力的であった。
 
しかし、我々が目指すものは喉の渇きを潤す一杯の水ではない。
滾々と湧き出るオアシスを探す旅に出たのだ。
ここでその旅を終わらすわけにはいかない。
それこそ、石清水参りである。
 
 そんな葛藤をくぐり抜けた先に。
そう、二軒目の名は漁火という店だ。
 

f:id:gohandesuyokun:20180120023512j:plain

 
 
ウチワエビ、というエビらしい。
どうも身が少ないし、なんだこの変な形のエビは。だいいち高い。
しかし宇田川先生がおすすめするこのエビを食べないことにはこの店を後にすることはできないだろう。なぜなら我々は一軒目で宇田川大先生の味覚にオトサれているからである。
 
いざ、実食。
 

プリップリである!

 
このウチワエビを評するにはこれだけで十分だ。
そう、かつてないプリップリなのだ。
口の中で踊る。
ふとまたその姿を見ているとなんと雄々しいのだろうか。
天に向かってその腕を突き出し、なんとまだ動いているではないか。
生への渇望を抱きながら、今まさに我が身体の一部にならんとしているのである。
それはプリップリになって至極当然であろう。
 
さて、そのエビに長崎の甘い醤油をつけて食す。
 
もう、ワオ!!
ワオ!!って感じ。
お口の中がワンナイトカーニバル。
 
しかしこれでは終わらないのがウチワエビなのか、宇田川先生。
 
「お味噌汁にしてくれるはずです。」
 
私はすでにウチワエビをはじめとした刺盛りで出てきた長崎の海の幸の波状攻撃を受け、心神喪失状態にあった。そこに悪魔の囁きが響く。
 
 

「お味噌汁にしますか?」

 
 
ここでノー、と言える人間がいるだろうか、いや、いない。
エデンを外側から見たものは、中に入ってみたいと考える。
いくら触れてはいけないと言われても、その実に手を伸ばす。
 
人間とはそういう生き物なのだ。
抗えないものの前で人は無力であることは歴史が証明している。
 
我々はついに、禁断の果実に手を伸ばした。

f:id:gohandesuyokun:20180120024141j:plain

この紅々とした輝き。
赤備えで有名なかの武田騎馬軍団がその旗印にしようと思ったのではないかと歴史のロマンに意識が飛ばされそうになる。
 
恐る恐る一吸いした瞬間。
 
 
僕の意識は無限の彼方へ飛ばされていた。
 
 
“甘いものが好き”という人は多い。
しかし、だいたいそういうことを言う人間の頭はポッピンシャワーである。
低温状態では感じにくくなる甘味を、砂糖や脂肪をボディブローのようにこれでもかと効かせたものを“甘いもの”と勘違いしている。
 
甘味とは何か。
 

甘味とは、包容力である。

 
人は幸福を知る時、同時に不幸になる。
“出会わなければよかったのに―”
今までにどれだけの人がこの想いを抱いただろうか。
 
出会ってしまった幸福が、
逢えない不幸が、その後の人生に容赦なく現実を突きつけてくる。
あぁ、なんと我々は幸福であり、不幸な存在なのだろうか。
 
幸福も不幸も、共に人生のスパイスなのであることを教えてくれた―。
 
 
このあたりで、私の語彙は目の前の世界を捉えることをやめた。
 

f:id:gohandesuyokun:20180120025032j:plain

生前はこんな感じだそうだ。エビか?カブトガニの仲間ではないのか?なんて疑問はもうどうでもいい。

 

最後はいつものバーで。
近況を聞いていただきながら。

 

f:id:gohandesuyokun:20180120030034j:plain


日々の生活に疑問を感じている人も読者諸君にはいるかもしれない。

しかし、今の人生を悩む必要も、ましてや人生を変える必要などない。

 
 長崎の食にどっぷり浸かる。
 
それだけで、世界が変わるのだ―。
 
宇田川先生、ありがとうございました。

悩みつつ、もがきつつ、それでも前に進みつつ

あけましておめでとうございます。青木です。

 

さて、2018年が始まってもう1日が経ちました。
去年の今を思うと、前職での生活を満喫しており、ボーナスにホクホクしながら仙台にいたのを覚えています。

 

この1年を振り返ると人や運に助けられてばかりであることを感じます。
前回の近況報告から少し時が経ちましたが、またもや幸運に恵まれました。
たまたまお手伝いしていたイベントでVCに声をかけていただき、エンジェル投資家を紹介してもらいました。1月末から2月頭あたりに仙台で登記を行います。

いや、そんなことは大事ではないんだ。

 

周りに助けてもらってばかりで前に進めていない自分にイライラする。
新しいことをする上では“そういうもの”なのかもしれないし、実際に「そういうものだ」と言われている。
しかし、無知のために進まず、また「自分でやらなきゃ」と「人に訊いてみよう」が知れずにぐちゃぐちゃになっていることでも進まない。(そしてたいていは自分のミニマム脳みそでは出てこないこと。)新しいサービスのリリースのURLを、鉛を呑んだような気分で開き、サービスの完成度に鬱々とした気分になる。
ウルフルズの「とにかく笑えれば」とか、「ええねん」に勇気づけられる。
やりたいことを、希望に溢れることをやっているはずなのになかなか近づけない自分がもどかしい。進んでいる気はするけれど、本当に進んでいるのか。そんなことを考えているうちに、早いのか、遅いのか、合ってるのか、誤っているのか、いけるのか、いけないのかが気になり始める。気づくと、歩みが止まっている…なんてことを繰り返し繰り返しやっているわけです。なんか文章にしてみると「そんなもんだよ」って感じがしてきますね。

ほら、初詣で引いたおみくじもこう行っている。

f:id:gohandesuyokun:20180102160254j:plain

 


言ってみれば、富士山に登るのに、登ってる途中ずっと皆ウキウキワクワクランランラン♪ってならないでしょ?「まだ着かねぇのかよ…」って言いながらひいこらご来光目指して登るわけです。そんな感じ。落ち込んでしんどくなってるわけではないのです。ちなみに富士山に登ったことはない。

 

 

今までの自分がうまくやってこれたことは周りのお陰であることも強く実感した。こんなにも自分の頭が弱いのかと。今までにどれほどの人達が、私の知らないところでレールを敷いてくれていたのかを。

 

そして同時にもうひとつ。

 

肩に力が入りすぎている、とも思うようになりました。

新しいサービスを作っていく上で、気がついたことがあります。
「僕はいったい誰に向かって話しをしているのか。」

このブログへの流入もほとんどがFacebook
何も気にせず自分のキャラクターをどんどんと発揮していってもいいのではと思うように。というか、変に気を遣わなくてもいいかと思うように。

 

ということで、もっと自由なスタンスで、もっと自由に動けるようにあらゆる行動を。つまり、進化を。
まぁ、簡単にいえば「easy goingに、できることをちゃんとやろう。“あ、わからん”って思ったらすぐ訊こう。変に気取ったり、気負ったりしたって何も変わらないんだから。」ってとこです。

年末カラオケに行ったり、スノボをしたりしている中でこんなことを考えていました。
「あー、こんな遊んでていいのかなー」から、「あ?なんだこの遊びですら頭固くなってる俺は!」と気づいたのでした。


ちなみに今シーズンのスノボは去年北海道からの帰りにスプレー類を全部捨てられてしまったのを忘れてノーワックス、しかも「ブーツないや…」と思っていたら、貰い物が実家にあったので使ってみたところビンディングとブーツのサイズが合わずブカブカというコンディションでした。今シーズンは金ないし更新は無理だな。来年からガンガン行けるように色々頑張ろう。

 

さて、いつものように、
『悩みつつ、もがきつつ、それでも前に進みつつ。』
ということで今年もどうぞよろしくお願いいたします!

 

写真はいつも行くお寺で見つけた、痩せそうな名前の仏像。
今年ダイエットするぞー!というあなたへ。

f:id:gohandesuyokun:20180102160402j:plain

ちなみに痩せるとかは全く関係ないみたいです。


ここまで読んでくれたあなたへ。


せんきゅー!!

SNS疲れを引き起こす3つの原因

どもども。青木です。

 

さて、前回は今までのSNSが可能にしてきたことについて言及しましたが、
今回は私が考えるSNS疲れの正体について書いていこうと思います。

皆さんはSNSをどのように使っているでしょうか。
Facebookやってるかな?
インスタは?
(ミニブログだけど)Twitterは?

前に「プライベートとビジネスで分けるなんてこれから生きていけないよー」という記事を書きました。

 

gohandesuyokun.hatenablog.com

 でも特に分けてなくたって、面倒くさいって思う時ありますよね。

そのメカニズムについて3つ紹介していきます。

 

◼誰かに配慮しながら書くのが面倒くさい。

特にFacebookですが、私の場合2000人以上繋がっている人達がいます。

私が見る人のことを意識し始めたのは、ドットジェイピー*1で活動をしていたころ。自民党民主党(当時)、他政党の皆さんと交流を持たせていただいていたのでまず政治的発言について気になりはじめました。

そしてどんどん繋がる人が増えていって、特定の業界のエラい人だったり、何かそのトピックについて痛みを抱えている人はいないかと考え始め、面倒くさくなってきたのです。

震災のことを書く時だって、内陸部で地震だけしか経験していないのに、ボランティアで見聞きしたことをシェアするのが薄っぺらいような気がしていました。
「考えが浅い。」「気持ちがわかっていない。」なんてコメントが並んだらイヤじゃないですか。知らずにその人の心の痛みを刺激してしまったら面倒じゃないですか。

そう、誰かに配慮しながら自分の気持をぶつけるには、ちょっと友達を広げすぎました。

 

自治厨がウザい。

懐かしい言葉ですね。自治厨という言葉を知らない人のために説明をば。

自治厨とは予めコミュニティで定められたルールとは別に、己の中のマイルールを遵守し、それをコミュニティの中に押し込み、周囲の人間に遵守させようとする者である。

ニコニコ大百科(仮)より引っ張ってきました。

 

すーごく簡単に言うと、「食べ物の写真ばっかりアップするやつ意味がわからん。」という発言です。よく聞くのは「お前が何食べたとか興味ないねん。」ということ。
僕から言わすと、

お前のシェアするしょーもないニュースだって興味ないわボケ。

ちゃんと説明すると、

なんで私が私のお友達のために有益な投稿をしなければいけないの?

ということ。更に言うと。

僕は友達に知ってほしい。僕がコーヒー飲めなかったり、お酒が大好きだったり、最近うにうにしながらも走ってるよ!って。ダメか?

綺麗なタイムラインを見たいのであればそういった機能があるので使えばいいと思います。僕も積極的に使っている。

 

◼仲良くない人からのコメントがウザいし、逆にウザがられたらイヤだと気に病む。

例えば「今から飲みに行ける人ー!」とか、「◯◯で困ってます…。」系の投稿で、狙った層じゃないところからのコメントが来た時、またする時。

「お前かー!」ってなる時もあれば、逆に「行きたいんだけど、相手は嫌がらないかなぁ」なんて気を揉むわけです。あぁ、考えただけでしんどい。

図解するとこんな感じ。

f:id:gohandesuyokun:20171221204834p:plain

これをされることもあれば、こっちがすることもあるのです。

もっと嫌なのはこういうの。

f:id:gohandesuyokun:20171221205213p:plain

人のアカウントを借りてきましたが、
こういうのホント辛い。まるで友達がいないかのように見えて辛いんだ。
気持ちがわかる。

 

SNSはなんでも書いていたのが、どんどん自分のプロモーションや、自分のブランディングに寄っていくんですね。黎明期のmixiからするともうSNSディストピアですわ。

 

SNS疲れの原因は、“広がりすぎた繋がり”。

SNSは一度に繋がっていられる人を増やしてくれました。
しかし、同時に“繋がりの維持”がどんどん負担になっているのです。

先日、はあちゅうさんがセクハラの告発でめちゃくちゃに炎上し、本人への誹謗中傷もたくさんあったそうです。

「多くの女性達のために」ということでしたが、まさに上に挙げた3つの面倒臭さを全部踏んだためにご自身の体調まで崩されるくらいになったとのことです。

はあちゅうさんはプロブロガーとしても活動されているのでこういった事態が起こってしまうことは避けられないリスクと考えていたと思います。しかし、同様の問題は規模が違えどSNSを使う皆が負っているリスクであり、ユーザーが離れている原因に思えるのです。
同じ“ノリ”でお話しできない人が入ってくることによって、SNS疲れが起こるのです。

 

SNSはずっと新しいコミュニティのあり方に挑戦してきました。
僕はこれからは、繋がりたい人が繋がりたい時に繋がりたい人と繋がる流れになっていくと思います。
とにかく広がっていった繋がりから、本当に必要な繋がりへのシフトが起こります。

 

そこに、私のサービスをぶち当てるわけなんですけどね!笑

 

ということで、ここまで読んでいただきありがとうございました!

ちなみに…色々めんどいとは書きましたが、皆仲良くしてね笑

 

*1:NPO法人ドットジェイピー。大学生を議員事務所にインターン生として紹介し、政治に興味を持ってもらう活動をしている。

SNSが変えた人類のコミュニケーション3選

どもども。青木です。

 

SNSはコミュニティに何を起こしたかについて書いていきます。

 

◼人が一度に繋がれる人数を増やした。

SNSの発明以前、人は居住場所を中心にコミュニティを移り変えていました。
なぜなら空間的に離れた友達同士のコミュニケーションコストが高く、繋がりを維持できないからです。
そうすると、自然と前にいたコミュニティからは離れ、新たなコミュニティに所属していくことになります。

仮にSNSが無くなった世界を想像してください。

友達の近況は自分でLINEやメールなどで「元気ー?」と言わなければいけない。
そうまでして連絡を取りたい相手はどれだけいるでしょうか?

 

SNS登場前、一度に繋がっていられる友達の数は50人がマックスと言われていましたが、ある説では現在150人まで繋がれるということです。

これにより、全員とはいいませんが、今までのコミュニティに所属して(いる気分になりながら)いながら、新しいコミュニティに所属することができる、というライフスタイルを構築することができるようになったのです。

 

色んなSNSにおける重要な理論である“六次の隔たり”についての解説動画です。
6人の友達を挟むと地球上のありとあらゆる人と繋がれる、という理論ですね。
英語のムービーって賢そうだな、と思ったので載せてます。

www.youtube.com

 

◼誰でも日常体験をシェアできるようになった

二つ目にSNSが可能にしたのは、誰でも日常の体験をシェアできるようになったことです。

今日は何食べたとか、いついつにどこへ行ってどう思ったなどは、かつて"文学"として成立してきました。名文でなら人に書き写されたり、印刷されたりして世の中の人々に見られるようになっていっていました。

 

「前々から行ってみたいと思っていた岩清水八幡宮に行ってきました!色々お参りしてきてありがたい気持ちになれました。山の上まで登っていく人達がいっぱいいたけど疲れたから断念(´・ω・`)今度は上まで登ってみよう!」
徒然草の第52段、岩清水の青木語訳です。

…青木語訳にすると急にくだらないですね。ググレカス!と叫びたくなる気持ちになります。

 

SNSは、こちらが近況を訊かなくても向こうから流してくれるために繋がりを維持できるのです。

「元気ですかー!」と訊かなくても「元気ですよー!」という投稿や「しんどいです」という投稿を見ればいいだけ。それに対してコメントをしていけばいいのです。楽ちん!

 

◼ 誰かの時間をもらう競争が激しくなった。

 先述したように、ライフスタイルの変遷とともにコミュニティを出たり入ったりするのに合わせて、付き合う人達が変わってきた世界から、好きな友達とずっと繋がっていられる世界になりました。
リアルからバーチャルへの転換と言ってもいい。今までの友達と繋がっていられるからこそ、新しい友達と積極的に関わらなくても済むようになりました。
「会社の人と飲みに行かない」なんて言われますが、そりゃそうです。元の友達がいればその友達と飲みに行く予定が入る可能性はあります。ですが、元の友達と物理的に切れていれば会社の人と飲みに行く可能性は高まります。

言い換えると、ある人の“飲みに行く”という行為をその人の唯一の友達でしかないあなたが誘えば、そりゃ一緒に行きます。ですが、あなたの他にも色んな人がその人を飲みに誘っているような状況では、「昨日飲んだからいいや。」と、断られてしまうこともあるでしょう。


SNS以後の世界では、多くの人が気軽に繋がれるようになったからこそ、一人の時間を多くの人が取り合う格好になっているような気がします。


「仙台なう!」という投稿に「え、ごはん行こう!」「何時空いてる?」「今◯◯にいるからおいでよ!」とコメントしているように、多くの人が会いたいという意思表示をしているのです。だから多少忙しいからって断られても、あんまり気にしないでくださいね笑
ちなみに僕には声をかけてください。コメントもらえなかったら悲しいので笑

 

ということで、今回は今までのSNSが変えた人類のコミュニケーション3選をお送りいたしました。

ちょっと更新が空いてしまいましたが、最後まで読んでくれてありがとうございます。

 

P.S.

選っていっぱいあって選べない中で選んじゃうのが選じゃん?
この3つしか思い浮かなかったからほんとは選じゃないんじゃないかなぁ、なんてことはスルーして、そっとしておいて欲しい。そう書いた方がいいらしいんだもの。

 

ということで、皆、アモーレ。

ビジネスとプライベートで分けるなんて言ってたら生き残れない。SNSの信用情報化。

どもども。MI(無職で居候)起業家ごはんです。

 

先日インタビューをした際、「ビジネスとプライベートでSNSを使い分けたい」ということを伺いました。
その時はなるほど〜くらいに思っていたのですが、
競合他社になりそうなところの資料を眺めていたところ
(「くそ〜こんなこと考えてやがるのかぁ〜!!」なんて思いながら眺めてます)、
「ビジネスの繋がりはビジネスで完結させたい人へのニーズを満たす」と書いてありました。

 

そこでなんかピンと来たのです。

 

「ビジネスとプライベートでSNSを使い分ける人は絶滅する」

 

おぉ、我ながら大きく出た。

 

さて、どうしてそうなるかつらつらと書き綴っていきます。

 

◼そもそもSNSのビジネスとプライベートってなんだ?

まずはこのそもそも論から。パパっと事例で思いつくのは

Twitterでは下ネタしかつぶやいてないから人に見られたくない。

・インスタで遊んでる写真ばっかり上げてると「勉強しろ!」って怒られそう。

Facebookで外の社会活動に取り組んでいると職場で何か言われるかも…。

あっ、全部僕の話です。

 

ちなみにTwitterの元アカは長いことやっているのでフォロワーもちゃんとついているのですが、つぶやいている内容がダメな感じするので諦めて新たに作りました。
フォローしてくれると嬉しいな。

 

twitter.com

 

話が飛びました。
SNSを使い分けたくなる瞬間は「人に見られていることを意識した時」です。
人に見られていることを意識していなければなんでもかんでも投稿しちゃいますよね。

ちなみに前職にいた際は、特に独立や転職など考えていなかった時期でも社外での活動はマイルドにしたり、投稿を止めたりすることがありました。なんとなく。

 

まぁ、色んな“事故”の話しを聞くわけです。

 

Twitterで冷蔵庫に入ってみて個人情報をめちゃくちゃ特定されたり、
Facebookで動物ハントしたら皆に叩かれまくったり、
社内情報をアップしたとかで怒られたりとか。

こういうことを聞くと、「ちゃんと見られている意識を持とう」という気持ちになります。

 

例えばこんな事故。

 

f:id:gohandesuyokun:20171201162442p:plain

意味がわからない。

 

頭おかしいな、6年前の俺。

いいね!してる人もコメントしている人もいますが、
ちょっと可哀想なので公開するのは止めておきます。

こんなクソ投稿まで「昔のあなたこんなのしてたよ!ねぇ!見てー!」なんてやってくんなよ…orz

 

ちなみに着てたのはこういうダウン。

 

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ミャンマーあたりにいそうな色使いだね。

ちなみにこれ、震災当日の夜、避難所でカメラを向けられた時の写真で、
撮られた直後に「こういう場でそういうのはちょっといけないと思います。」なんて
言ってました。

そう、カメラ向けられたら条件反射で笑顔なんです。

特に炎上とかはしませんでしたが、私の心は怪我だらけ、ってとこですよ!

 

閑話休題

 

こういったイタい投稿や燃える投稿は、
「どこの誰がどのように見ているか意識していない」からこそ起こることなのです。
言い換えれば「◯◯には見て欲しいけど、××には見て欲しくないよ」ということを考えられていると起き得ない。それがいわゆるビジネスとプライベートの違いです。

これはきっと皆さん理解して意識してますでしょう。おさらいです。

 

◼履歴書から信用情報化するSNS

これも多くの方が気づいていると思いますが、
SNSは既に履歴書化しています。

「人事にTwitter見られたくない」という声がある一方で、
見たい人事がいるわけです。


なぜならSNSは、それまでの履歴書が不可能だった、
多様でありのまま(僕の場合ほどよく脚色された)の側面を持つあなたを見せてくれるからです。


どんなことに興味があるのだろうか、
どれくらい頑張ったか、
友達はどれくらい多いのか…。

Facebookで友達になったら共通の友達見ちゃうでしょう?
ちょっとフィードとかアルバムをのぞいちゃうでしょう?
そうした時に起きる「あぁ、この人はこういう人なんだ」という気持ち。

わからないことがわかった気になる時の安心感。

これが重要なんです。

もっと具体的な例を出しましょう。

クレジットカードの審査のお話しです(元貸金業の力を発揮するよ!)。

 

クレジットカードでよく聞く“ブラックリストに載る”*1という言葉があります。それまでの借金を返していなかったり、遅れたりすることで「あなたにお金貸しますよー」という与信がされにくい状況です。

簡単に言うと、いつもきっちりお金を返してくれる人には「また貸してあげよう!」となる一方、なかなか返してくれない人には「また返してくれないと困るから貸さないよ!」ということです。

 

では、“いつもきっちりお金を返してくれる”はどこから始まるでしょう?

 

当然、最初にお金を借りなければ返せません。
一番最初は皆さん収入を報告したりしてカード会社にカードを"とりあえず”作ってもらいます。"あんまり高いお金は貸せないけどとりあえずこれ使ってみて〜”って感じです。

 

それを何回か繰り返すと「お、この人はいつも返してるな!今度も貸してあげよう!」となるわけです。

 

それを全くしていない人。なんてのはほとんどいないのですが、
もしあなたが今までただの一回もクレジットカードを使わず、
携帯電話を始めとした高いお買い物も全部ニコニコ現金払い…なんて状況ですと、

 

スーパーホワイトと呼ばれます。

 

それは、お金の貸し借りが起きていないため、あなたの信用がマイナスでもプラスでもなく、ゼロの状況です。現代社会に順応していればめったにないんですけどね。

これがまだ10代とか20代もそこそこならわかりますが、30代くらいになってくると
「クレジットカードを使っていないだとう!?まさか怪しい契約じゃないよな…」と相手は不審に思うわけです。

家など超高額ローンは通りづらくなる可能性が高いです。

 

ではSNSにおいてはどうか。

 

SNSを普段のコミュニケーションとして使う人、
自分の活動報告の場として使う人、
全く使っていない人がいます。

 

普段のコミュニケーションに使う場合は、
途中で公開に転じることが難しくなります。
私のTwitterの元アカですね。絶対公開できない。

自分の活動報告の場として使うにはFacebookが適しています。
プライベートもビジネス(真面目なこと)も載せていける、わりとソーシャルな場ですからね。

全く使っていない人はSNS上の履歴書が存在しません。スーパーホワイトです。

普段使いのコミュニケーションは困る可能性が微粒子レベルで存在しています。

全くSNSを使っていない人は困る可能性がまぁまぁあります。

なぜでしょうか。

 

◼個の時代の履歴書、SNS

SNSはこれから履歴書化していきます。
特に個人で何か事業を始めたり、フリーランスになる時に今まで育てていたSNSが使えないとわりとしんどいです。

あなたが商売をはじめました!むしろ始めます!という時に宣伝できる友達が少ないということです。まぁとはいえ、いくらフリーランスになる人が増えてるからといってそうでない人もいますよね。

「私は普通に就職するので大丈夫です。」
「今ある繋がりを大切にして生きていきます」
うん、余裕で生きていけます。

 

ですが、本当にそれで終わるでしょうか?

 

先程のクレジットカードの件と同様に、

誰かがやっていることは、
その人数がある点を超えると「なんでやってないの?」に変わります。

「まだガラケー使ってるの?」
「このご時世でまだ禁煙してないの?」
これくらいならまだいいです。
ガラケーってことは電話が多い仕事の人なのかな?」
「時代遅れの人だなぁ」
「禁煙できないダメな人なのでは?」
なんて勝手にレッテルを貼られる日が、SNSにも絶対にきます。

「クレジットカードを利用していないなんて怪しい!」と同じロジックです。
本人はいつもニコニコ現金払いをしているから何の悪いこともないのに怪しまれる。

「やっていないことが不利益になる瞬間」が来ます。


Facebookやってますか?」と聞いて検索した後、
顔写真も何もないとちょっと不安になった経験はありませんか?
少しずつ、SNSをやっていることが当たり前の時代が近づいています。

 

特に、都市部など人口の流動が激しい場所ではSNSの履歴書化が進むでしょう。
それが“会社の看板なしで勝負する”の具体的な戦い方です。
他にあなたを保証してくれる要素は何もないのですから。

 

20代前半の子達は顔写真も名前もないTwitterアカウントのDMに、
約3割が返信しています。

その信用は育てられたSNSアカウントで、今まで投稿してきたことによって成り立っているのです。私は26歳ですが、DMなんか送られてこようものなら絶対無視です。カルチャーはどんどん変化しています。

お金のやり取りができるまでにはまだ全然早いだろうけどね。

 

◼もう一度問いたいビジネスとプライベートで分けることの必要性 

さて、最初の問に戻りましょう。

「ビジネスとプライベートでSNSを使い分けること」です。
極論いうと、

ビジネス用アカウントで書いちゃいけないようなことは、
プライベートでもだいたいダメだよ。

と思うのです。
同時に、

いつも仕事のことしか投稿しない人は見てて面白くないよ。

と思います。というか、純粋に仕事関係のことって投稿しづらくないですか?
特に勤めてると。

 

ということで、プライベートと仕事はどんどん不可分になっていくのです。
故に、“分けて使う”という発想がもう古くなると思います。

分けるなら、「この人達にはこういうところを見せたい」というように、
ビジネスだ、プライベートだという発想ではないように思います。
個が活躍する世界がくればどんどんそれが当たり前になっていくでしょう。
多くの人の間で“ネットのノリ”が共有されればいつしか、
「つぶやきは個人の見解です」なんて書かなくてもいい時代が来るかもしれません。 

 

さて、今日はこのへんで。

色々書きたいことが溜まっているのですが、
次回は僕が考える、SNSがコミュニティの維持に貢献してきたことの変遷について書きます。

 

最後まで読んでくれたあなたへ。


金晩飲み会に誘ってもらえなくて残念だったな!俺もだぜ!!

仕事の皆さんは一緒に頑張りましょう。

 

あでゅー!

 

*1:厳密にはブラックリストというものは存在しません。説明すると長くなるので、気になった方はググってみてね!

会社を辞めて3ヶ月経った所管。 〜抜き身の刀を振り回して、泣きながら土手で抱き合うことこそ〜

どもども。MI(無職で居候)起業家のごはんです。


会社を辞めて3ヶ月が経ち、4ヶ月目に突入しようとしています。
ここ3ヶ月を振り返ると、色んなことがありました。

 

ビジコンに企画を出してみたり、色んな人に会って話しを聞いてもらったり、
そして今01boosterというアクセラレーター(起業家向けのコンサルティング)でアイディアを磨いていただいております。

 

正直もっとポンポンと進んでいくものだと考えていましたし、
よくもまぁここまで考えずに生きてきたものだと思いました。

とりあえず川を泳いで渡ったら、皆隣の丸太の上を渡っていたようなことはいくらでもありました。「うっそ橋あんのん!?皆ふつーに渡ってる!!」みたいな。

 

◼負けず嫌いなんだ

先日仙台に帰った際、とある先輩経営者から、
「最近ちょっと窮屈そうに見える」というお言葉をいただきました。
そして、「ソルジャータイプ」なんてお言葉も。

すごく腹落ちしたのですが、
私が今まで活躍してきたフィールドは
・誰でもでき、同じ立場で努力している人がいる
・目的に対して誰かがやる意義を説いてくれている
・技術<<気合でなんとかすることが求められる

というところ、端的には「行動すればなんとかなる。」ところでした。

失敗したことと言えば、ドットジェイピーで現役だった頃、
顧客の満足度とイベントの参加率の相関を出そうとした時のことです。

結果として集まったデータが使い物にならなかった時の衝撃を覚えています。

そう、私は戦術レベルでは人より少しの努力ができるだけの人間なのです。
戦略レベルになってくると、途端に弱いのです。
なぜなら、元来賢くない(大学へは努力で入りました)ので、
抽象の議論や仕組みづくりに弱いのです(それもやっと最近気づきましたが)。

 

ですが、

 

だからどうしたというのでしょうか。

 

今この時は、ドラクエでいうところの「ぶとうか しょだん」から勇者にジョブチェンジしようとしているタイミングです。

 

強い仲間に力を借りながら、自分のスキルを、生き様を磨いているだけのこと。

「強烈なビジョンはあるか」と言われれば、吹けば飛ぶようなビジョンしかない。
第一、強烈なビジョンってなんだ。そのうちわかる。

 

暫定値など、どうにでも変えられる。

 

負けん気ならある。
「スゴいなぁ。」と指を咥えて見ているだけの人生を知らない。

「負けたかー。」と拳の下げ方を知らない。

燃える闘志は、戦い抜いた先に結晶化するものだと知っている。

 

まさに、刃牙に出てくる名言。

「地上最強を目指して何が悪い!!!
 人として生まれ男として生まれたからには誰だって一度は地上最強を志すッ
 そんな男は一人としてこの世に存在しないッッ
 それが心理だ!!!」

 

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 グラップラー刃牙(地下闘技場編)より、徳川光圀会長。

こんな感じ。

かつて殴り合って、互いにスゴいな、って言い合った仲間が気づいたら
トンデモナイことをしている。いつしか違う土俵に立っている。我慢できるか。

 

僕がドットジェイピーで現役時代にいただいた、表彰式でのコメントは

「誰よりも努力家で、負けず嫌いで、そして仲間思い。
 東北のリードオフマン。」

いつだってチャンスを作り、全体を引っ張ってきた(と、評価してもらった)。

 

先日、ドットジェイピーの仲間と5時間ほど飲んでいたのです。
「絶対負けたくないみたいな気持ちあったよね」
「メーリスでめっちゃ喧嘩してたね笑」
「まさに、抜き身の刀を振り回して、結果がどうであれ泣きながら河原で抱き合う感じ
 だったよね笑」

なんて昔の話しをしていました。
私の原点はそこにあるのです。


苦手なことだろうと、苦手だとわからなかろうと、
行動した先には何かが必ずある。

そう信じて走ることを止めなければ、必ず素晴らしい景色が見える。 

 

◼努力の結果が世界を変えると信じている

私は10年間の片想いで“努力”を教わりました。
その最後にわかったのは、“未練”の意味です。

“練”という字は「今あるものをより良くする」という意味を持ちます。
すなわち未練とは「今あるものをより良くしきっていないから生まれるもの」です。

より良くする方法は努力であす。
それもちょっとの努力ではいけない。
方法が間違っている、と言われて飛ぶような努力ではいけない。
方法が間違っていようと、例え遠回りであろうと、
間違いなく山の頂きに近づいているのですから。

 

そして、努力がどのようなものかも知っています。
努力しているうちは結果は出ず、周りは何も変わりません。
だんだん努力が伝わると周りが動きます。
しかし結果は変わらない。
努力が実る時、それは結果が出る時だけ。
その瞬間世界が変わる。
自分は変わっていないのに、世界が変わる。

高校、大学と、いつでもそうでした。

もう、“そういうもの”なのです。

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そんな時ちょうどいい名言があるのが刃牙範馬勇次郎

 

◼仲間達へ。「謝りたいと、感じている。」

歩みの始まりは誰から見ても甘っちょろくて、
やり方が違くて、
何もできなさそうなもの。

 

「青木がまたなんか言っている」なんてことはいくらでも言われてきた。
結果を出したこともあれば、出せなかったこともあった。


始まりはだいたい嘲笑や様子見からなんて当たり前。
結果を見て手のひらを返されることも当たり前。

 

ところが今回は違う。

 

「青木、最近どうなん?メシ行こうや。」
「もうちょいこうしたら良くない?」
「話し聞いてくれる人見つけてきたで。」
「このプログラム、応募してみ。」
「何をしたらいいですか?」

 

負けるわけにはいかない。
少なくとも自分の行動で負けるわけにはいかない。

何をすればいいか指し示してくれる人達がいる、
どうすればより良くなるか教えてくれる人達がいる、
一緒に頑張ろうと手を動かしてくれる人達がいる。


3ヶ月経ってまだアイディアを転がしているだけの、
情けない自分についてきてくれる人達がいる。
まだ独立できていない自分に協力してくれる仲間がいる。

これはもう、「ソルジャーだからうまくいかない」なんて次元のことではない。
自分で勝手に飛び込んだ世界。
どう見ても時期尚早なのに、どう見ても力不足なのに、
それでも手をのばしてくれる仲間達に恥じないよう、
自分なりの理想の旗をぶっ刺して、抜身の刀を振り回すような戦いをしている(しかも敵のいない場所とかで)ところに、「青木アカン、こう闘うもんや。」と教えてくれる方々に報いるよう。

今の自分には、そこを取っ掛かりとして、上を目指して登るしかありません。
無限に湧き出るふわっとしたことを、一つでも「たしかなこと」にして登るしかありません。
その先に、ソルジャーが大活躍する戦場が待っているはずだから。

 

一人じゃなんにもできないから、新生チーム青木を作っているところです。
そろそろLINEグループでも作るかな?笑

 

ということで、書けるほどのこともない近況報告ではありますが、
自分でも焦燥感を感じつつ、それでも周りの方々の協力をいただいて、
確かな一歩を探して走っています。
言葉にすると劣化し、陳腐化してしまう世界を目指して。


以上!頑張るで!

 

 

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愚地克己の名言