差別を乗り越えるコミュニティの力

どもども。青木です。

 

Yahoo!ニュースでこういった記事が流れてきました。

 

news.yahoo.co.jp

 

学生の時、私はハンセン病という病気に出会いました。

2013年にフィリピンを襲った超大型台風ヨランダ。
その台風の復興支援ということで日本財団のチームHOPEというプロジェクトで、
かつて世界最大のハンセン病各離島だったクリオン島へ行ったときのことでした。

ハンセン病がもたらした熾烈な差別の歴史を学びながら、
現地で生きる人達に触れてきました。

その中で気づいたのがコミュニティの力です。

確かに後遺症に苦しみながら孤独に苛まれる人もいる。
しかし多くが助け合いながら、家族に囲まれながら暮らしていました。

それを見て私は「なんと幸せなことか」と感じたものです。

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ハンセン病回復者のクラリータさん。

■たとえ差別がないとしても

私の曽祖父は目が見えません。
熊に顔を引っかかれて片目を失い、鎌を打ち直していたところ欠けて、飛んできた刃が目に入って失明しました。

曽祖父は散歩に出たりしていましたが、特に誰かと話しをするでもなく孤独を感じていたようでした。一緒に暮らしていた時は帰ってきてよく遊んだりもしていましたが、そんな中でも曾祖母の名前を呼んで「いねぇんか…」と寂しそうに呟く声は印象に残っています。
家族から疎まれていたわけではありません。
ですが、地域のコミュニティから完全に分断されていた中で曽祖父は何を思っていたのか、とたまに考えをくゆらせてしまいます。

幸せだったのか、と。

 

■壮絶な日本での差別の歴史

私はクリオンから帰ってきて、群馬にもハンセン病の隔離施設があることを知りました。祖父が大工なのですが、若い頃に入所者の家を普請したそうです。

その時の話しをしてくれたことがあります。
「夜トイレに行ったらぬっと現れ、鏡に映っていた顔がおっかなかった。
 ただ、だんだん通って行けば慣れもしてくる。車で町まで送ってあげたり、
 昼飯を一緒に食べたりしているうちに仲良くなって、サザンカの苗木をもらった。」

その苗木は今も祖父の家に植わっています。

私はそこに興味を持ち、群馬は草津にある楽泉園へ行ってきました。

人気がほとんどなく、ガランと、静かな所内には耳が聞こえなくなってしまった入所者のためにオルゴールが哀しげに鳴り続けていました。

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入所者の残した歌。らい予防法廃止(平成8年)について。

所内にはこんな歌が至るところにありました。
ハンセン病を国が差別していた法律が廃止されたのは平成8年。
まだまだ法律が廃止されたのは最近のことでした。

日本でのハンセン病差別は本当に激しいもので、
ハンセン病にかかってしまった人は一生を納屋の中でひっそりと暮らしたり、
見つかって隔離施設に送られ、家族も同じ土地で生きていけなくなりました。
それだけに飽き足らず、隔離施設に入った人達は結婚を禁じられ、断種・中絶が国の手で行われるというおぞましい実態が日本中で繰り広げられていました。

家族から「頼むから縁を切ってくれ」と言われた手紙、
家族と連絡がつき、骨を取りに来たのにもかかわらず持って帰れずに電車の中に置き去りにされてしまった骨壷の話しなど、想像を絶する苦しみがありました。

差別され、社会からつまはじきにされてしまった彼らの生に対する考えが強烈に印象づけられた石碑があります。

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楽泉園納骨堂前の石碑

こんな石碑は見たことがありません。
これほど心に訴えかけてくる一言が他にあるのでしょうか。
「差別のない世の中を」などという甘い言葉ではなく、
そこには差別の中で生きて、苦しんできた人達の生々しい声がありました。

しかしこの事実を多くの人が知らない。
彼らの声が私達に届かないほど遠くへ、隔離されていってしまったのです。

分断されては、いけないのです。

■今ある生をどう生きるか

楽泉園で見てきたハンセン病の実態はクリオンでのものとは明らかにかけ離れていました。

家族や周りの人達に囲まれながら、体は不自由だけど笑顔で笑っていたクリオンの人達に対し、家族から見てみぬふりをされ、人として扱われることなく今もひっそりと死を待つ人達がいました。 〈h4〉ハンセン病の、この暗く哀しく壮絶な歴史は、人間を究極的に独りにさせて作り上げた歴史です。家族から切り離し、子を残さなくし、パートナーすらも作らせなかった。その孤独により人々の生きる気力を失わせたのです。

差別が積み重ねてきた過去はどうしようもないものです。
ですが、それを乗り越えた先の生が、彼らにはもうないのです。

先日東京では東京レインボープライドというイベントがありました。
このイベントのパレードを見たのですが、本当に楽しそうでした。
主催したNPOのテーマは次のものです。

すべての愛に平等を。

私たちが未来に求めるのは、
特別な権利や、特別な豊かさではありません。
マイナスをゼロに。
同じことを、同じように。
愛する人を、自由に愛する。
そんな、あたりまえの「平等」を、 実現したいだけなのです。
キース・ヘリング生誕60周年の2018年、
彼の作品と共に掲げたテーマは、 「LOVE&EQUALITY」。
すべての愛に、平等を。
また、あらたな一歩がスタートします。

差別や偏見に苛まれる人が求めるのは「当たり前」です。
「当たり前の人生を当たり前に生きる」ことが特定のレッテルが貼られることによりできない歴史がありました。

 

その歴史を超えるためには、団結が要ります。
傷を癒やし合い、声を挙げ続けるための団結です。

 

人は孤独では何も成し得ず、
いつしか火は消え、歴史に埋もれていってしまうのです。

 

 

 

今度は公民権運動の話しでもしましょうかね。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
1人でも多くの方が人権や人との繋がりを考える機会になっていただければ幸いです。

『とりあえず○年』『好きなことを仕事に』なんて言ってたら生き残れない。

どもども。青木です。

 

単刀直入にいいます。

キャリアを年数で区切るのはやめた方が良い。

最近転職話しや就職話しを聞いて思うのです。
「まだ1年だし…」
「あと1年やって…」

なんだそれは、と。

お前は自分の人生を何年“とりあえず”という言葉で無駄にするのだと。

いや、失礼だと思うんです。
「まだよくわからんからとりあえずあと1年頑張ってね、俺。」

自分に失礼なんですよ。未来の自分に責任を転嫁している。
ダメです。本当に。

 

さて、本題です。

キャリアを創っていくには場数がいる

そう思いませんか?

僕はよく「ソルジャー」と人に呼ばれます。
僕をそう呼ぶ人達の話しをかいつまむと、
戦略を構築するのは苦手、
自分がやったことがある分野では自身で作戦を建てて効率よく、
かつ大きな成果を挙げられる生き物だと思っています。

そんなソルジャーの私から、
キャリアにおいて大事な3つのことをつらつらと述べようと思います。

 

■レベルの高いバッターボックスに立つ。

先日こんな話しを聞きました。

「今の職場でもう少し勉強していかないと、何にも得られない…」

はい、もし配属されて半年以上経ってたら会社を辞めましょう。
サンクコストを回収しにいっちゃってます。ダメです。

 

いいですか、半年かかって何も得られないのにどうしてもう少しいようと思うのでしょうか。本当に学びたいなら自分にとって高めのレベルの球が飛んでくるバッターボックスに立つべきです。

球速が遅すぎる、ピッチャーの頭がおかしくてわけのわからん方にしか投げてこない、そもそもボールが来ないバッターボックスでいつまでも立っている必要はないのです。

ソルジャーとは、自分より若干レベルの高いところに居続けないとなれません。チャレンジをしてみて失敗したり、何度も同じような球を打って型を作るからこそのソルジャーなのです。戦略を描けないからこそ、何度も何度も同じことを繰り返しながらレベルアップし、将を目指すのです。

 

自分のレベルより低い球ばかり打っている者はソルジャーとは呼びません。
雑兵です。

 

■何を以て実績とするかのイメージはあるか

これも大切なことです。
実績は何で測るのかをイメージしておかないとだいぶしんどい。
売上なのか、集客数なのか、はたまた別の何かなのか…。

このイメージがないと漫然とした日々を過ごしやすい気がします。
自分の今の業務における進歩とは、実績とは、次のステージとは、を作戦行動レベルでイメージしておかないとだいぶキツいです。これがイメージできてないヤツを「言われたことしかできない人」といいます。

熟練したソルジャーはなんとなくその先に何が起こるか予想し先回りしたり、時に「んー、なんかヤバい」という感覚で人に訊いたりします。
「こういう球が来たらこうやって打つ!」という感覚を体得しているのです。
ひたすらぽけらーっと飛んできた球を打ちまくっているような人間のことを雑兵と呼びます。

 

■そもそもソルジャーにならない人生だってある

さて、今まで散々言ってきましたが
「ソルジャーにならないとダメだなー」と思っていたそこのあなた。

 

家にある自己啓発本は全部捨てた方が良い。

 

いいですか、別にソルジャーになんてならなくたって生きていけるんですよ。
今の職場でしんどいな〜と思ってたってもっとラクで稼げる仕事なんて世の中にはたくさんあります。

でも皆が言うんです。
「やりたいことはなんですか?(ハイ、カッコいいこと言って〜)」
「どうなりたいんですか?(ハイ、カッコいいこと言って〜)」

こんなうんこみたいな言葉の魔法にかかっちゃってるんですよ。

いいじゃないですか、やりたいことが昼寝とかゲームだって。
いいじゃないですか、優しいパパママになりたいとかだって。
ソルジャーになろうとして、変に「とりあえず○年」なんてウソをつく必要はないんです。

ソルジャーにならなくったって人は生きていけるんだから。
雑兵だって違う国に行ったら一騎当千になれる国があるんです。
刀もたせたら全くダメでも鉄砲もたせたら100発100中かもしれないんですよ。
それくらいの気楽さを以て自分の人生を楽しむべきではないでしょうか。

下手に自分にウソをついて、ソルジャーになろうとするのはやめましょう。
のんびり生きていることだって、立派な人生です。


ソルジャーになるには素質が要るんです。
例えば次のような。
・自分にあった(≒勝てる)戦場に出会うこと

・自分にあった頻度で戦闘が発生し、概ね勝ち続けること

・下手に自分が勝てない戦場に出ないこと

・戦って楽しい戦場であること

・変に目的とか考えずに戦えること

みたいな。

ソルジャーになるには非常な好条件に恵まれないとダメなんですよ。
ソルジャーはその戦場を楽しんじゃってるんだからもうどうしようもないんです。

無理してなろうとするものではないのです。

 

■おまけに あなたが仕事にしようとしている好きなことはどんくらい好き?

ついでにもう一本です。
今『好きなことを仕事にしよう!』みたいなことが溢れていますが僕はこれを相当危険だと思っています。

日本は現状景気が良いです。2017年ですら前年比25%増です。賃金に反映されていなくても景気が良いといえる。
その中で人が足りず、仕事が多いのでフリーランスに仕事が流れてきているだけなのです。インフルエンサーマーケティングも名前がついて1年しないうちにオワコン化が始まっています。よく考えればフォロワーもRT数も金で買える時代にそんなものが仕事になるのはごく一部の人間だけだと気づいていただきたい。

2020年以降の景気の落ち込みを乗り越えるためには「自分が仕事にしようとしている“好きなこと”の戦場でソルジャーになれるのか」が重要です。

どれだけのプロジェクトを回し、実行し、実績をつけ、自分の力で稼げるようになるかが大事です。
「自由なライフスタイルを実現しつつちょっとお小遣い稼ぎをする」みたいなハッピー野郎でいると潰さざるを得なくなるでしょう。

“ソルジャーになる覚悟はあるか”

それが2020年以降をフリーランスとして生き残る道なのではないでしょうか。

 

【書評:ゆるいつながり】だからお前はアホなのだァ!!

どもども。青木です。

 

今日は読書の日、と決めて本を読んでいました。
4冊の本を三角読み(飽きたり難しくなったら読む本を変える)していたのですが、
もの申したくなった本があるので筆を取ることにしました。

 

※たまたま僕の琴線に触れただけで手に取る価値は全然あります。

 

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コレです。コレ。

平積みジャケ買いしたやつですね。
「ほとんどの本はジャケットで買うか買われないかが決まるって言ってたなー」なんて思いながら手にとった本です。

 

今思えばタイトルとカバーが言ってることのアンバランスさに気づくべきであった。

 

全体的に言っていることは間違ってないし、役に立ちます。何より20分くらいで読めます。

 

ですが、“よりよい繋がりをつくるためには自分の価値を高め、共感を呼ぶような発信をするしかないのです”
という文中の一言。

 

だからお前はアホなのだァ!!

 

東方不敗マスター・アジアもきっとこうのたまい、
生身でモビルスーツを破壊し尽くすことでしょう。

 

いいですか、「自分の価値を高め、共感を呼ぶような発信をする」のはユルくねーんでございますよ。
Facebookが面倒くさくなってきたのも「今日こんなご飯食べたいぇーい!」というアホな投稿がしづらいツールになってきたのと一緒なのです。

要は、「共感を呼ぼう」と考えてる時点でそれはもうユルくないんですよ。

しかも如実にいいね!とかRTで共感されてるかされてないかわかるじゃないですか。
何千人もフォロワー数のいる友達を見て「すげぇ」と一瞬たりとも思ったことがないですか?

僕はSNSが全世界に広がっている限り「ゆるいつながり」は実現不可能だと思っています。

 

“「ゆるいつながり」がメインになる時代には、オリジナリティがないと豊かな人間関係は築けないでしょう。”

「なってない、本当になってないぞ!!」

もう東方不敗様、風雲再起と合体するわ。

 

私は常日頃考えているのは

「あなたがオリジナリティを発揮できるコミュニティが必ず存在する」

ということです。
例えばうちの母はエクセルがちょろっと使えるだけで群馬では破格の給料で仕事してます(たまに自慢してきます)。
僕はちょっと英語が喋れるだけで通訳をお願いされたりします。

エクセルも英語も別にその能力は地球上に数十億人単位でいるスキルですが、
そのスキルがない人、または必要としているコミュニティに行きさえすればそれは立派なオリジナリティなのです。


僕は現代社会を「多数の社会が共生する社会」と考えています。
意味がわかりませんか?例えていうなら、宇宙は一つで自分の銀河しかいないと思っていたら銀河がいっぱいあった!みたいな感じです。ごめんなさい、今ホーキング、宇宙を語るを読んでます。

話を戻すと、
労働、教育、市場など、多くのものが国家の手から離れたり、民間に近くなっています。
この社会が持つ特性はかつて中央集権的に決められていた仕組みが多様化したためにはみ出し者が暮らしやすくなったことです。
ずっと同じところで働いていることに疑問を持つ人達の受け皿ができる、
学校に行かなくても教育として認める動きが始まる(ホームスクーリング)、
UberAirbnbなどに代表される破壊的イノベーション

ただ、これらの動きは限定的です。
別に世の中全体がひっくり返ったり、多くのサラリーマンが副業に流れ出すことも僕はあまりないと思っています。あくまで現時点におけるメインストリーム、誰もが泡を食って飛びつくものではない。

そうはいっても、こういった仕組みの変革によって確実に

これまで矯正、排除、抑圧されてきた人達の居場所ができつつあるのです。

故に、いくつもの社会が重なり合っている今までにない社会が到来していると私は考えています。それは大きな社会の変革ではなく、大きな社会の木の下に小さな社会がポコポコと生まれているような感覚です。
なので、たとえ小さな社会であれ自らがイキイキできるところを選べるならば、それこそ素敵なことなのではないかと考えています。

何万人のフォロワーを抱えるだとか、何人と友達かはもう重要ではなく、その繋がりの中で自分が“友達”と共にどんな小さな社会を築いていくかこそが重要なことなのです。

それこそが謎の“社会≒全世界”と戦わないこれからのユルい繋がりであると考えています。

 

さて、最後。

共感したところでいきましょう!

スキル的なところは学ぶ面が多く、大変参考になりました。

その中でも

“多様性のある人とのつながりは、生き方の選択肢を増やし、いざというときのセーフティーネットになることもあります。”

ここはすごく共感しています。
そう、いろんな人との繋がりは病的な依存を避け、一歩を踏み出す勇気と背中を預ける安心感に繋がります。私のブログでもずっと申し上げていることです。

ゆるいつながりをどうゆるいままに創出していくか、そこに取り組む日々でございます。

 

ということで、読んでいただきありがとうございました!

ドットジェイピーの全社会に行ってきました

どもども。青木です。

 

昨日、ドットジェイピー40期の全社会が終わりました。

ついに輩出インターン生数が1200人を超え、私が現役だった頃からスタッフ数も拠点数も倍以上に、そして自治体の政策デザインコンテストやNPO、大使館でのインターンシップが開催されるようになりました。

私は長崎支部の担当役員として微力ながらサポートをしています。

学生スタッフ達の活躍には本当に頭が下がります。
私達の時でもできたはずのこと、私達ができない、むしろ見ることすら叶わなかった世界を見、実現させる姿には敬意しかありません。

昨日の表彰式でもウルウルしてしまい、懇親会では本気を出して飲んで記憶を飛ばしてしまいました笑

 

 

私はドットジェイピーが好きです。

参画している誰もが悩み、もがき、苦しみ、その中で自分たちの有り様をこの世界に刻んでいく感覚。
逃げたくなる足を必死に踏ん張り、仲間と共に戦う姿が好きです。
「勝ちたい」という気持ちから新たなことに挑戦する姿が好きです。
勝ってなお満足せず「もっとできたのでは」と逡巡する姿が好きです。

 

そしてその姿から、自らを振り返るんです。

彼らの前に立つ自分は恥ずかしくない人間だろうか。
自らの人生を拓いているだろうか。
世の中を変える強い意志を持っているだろうか。

そしてあの頃の自分に負けない戦いをしているだろうか。

そんなことを意識しながら学生と接するようにしています。
かつて自分がいた場所だからこそ、変に格好つけたりせず、頭ではなく心で受け止められると感じています。

彼らに負けないよう、貪欲に、誠実に。
そんな、僕自身も頑張ろうと思えた全社会でした。

最後に私の尊敬する先輩がかつてくれたメッセージを。

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悩みぬき、やり遂げ、目標を達成し、成功し、そこに見える景色がある。

言葉にすると劣化し陳腐になってしまう景色。

それは見た者にしかわからない。

高い壁を乗り越えたからこそ見える絶景、

そして得られる悟りに近い達観。

あの景色をまた見てみたい。

昔も今も、それは変わらないことです。

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かつての仲間達もそれぞれのフィールドで、Japan Produceしてるからね。負けられないってとこよ!

 

ということで、来期は長崎とつくばの担当です。
二日酔いの頭痛もなくなったことだし、気張っていこー!

震災から7年目の所感。

どもども。青木です。

 

さて、今年も3/11が近づいてきました。
もう7年も経ちますが未だに心がざわつきます。

9日は東日本大震災の前震があった日です。

 

先日、東北の農水産物を使ってお店をやる、というイベントをしている子が
放射能をばら撒くようなことをするな」と言われたことがあると聴きました。

 

気持ちはわからなくはないのです。
感じる不安、あえてリスクを取る必要のなさなど。

ですが、いや、だからこそ激昂してしまうのでしょうか。

当時東京から来た実業家が「東北にいろんな人が集まるのも今のうちだ。我々はカネにならないと思ったらすぐに引き返すから。」こう言われて言い返せなかった悔しさを、国分町流入した他地域資本の飲み屋が、震災特需の収束と共に去っていった歯がゆさを未だに覚えています。

 

そういった暗い気持ちがどうしても顔を出してきます。

 

牡蠣の完全陸上養殖を目指す、教授が笑顔いっぱいで語っていたビニールハウスが流されたこと。
先輩との連絡が3ヶ月近く取れなかったこと。
ガラスの泥を指で落として書いた連絡先があった石巻
行方不明者、死者の数が書かれた大島の災害対策本部。
閖上神社の場所に登って初めて気づいた、そこが原っぱではなく住宅街だったこと。
「こんなことになるくらいなら、海なんていらない」と呟き、海を睨みつけたおばあちゃん。


それ以上に、そこで生きる人達の強さです。

外からいくらでも批評はできる。
「もうそんなところ離れなよ」と思うこともある。
それでも、歯を食いしばって生きている人達を見ました。

陸前高田の奇跡の一本松。1億5000万円の修繕費をかけたことが、大きな議論を巻き起こしました。
現地に行って感じたのは、「これは、ここにもう一度街を作ると決めた覚悟の一本松だ」ということでした。その覚悟はお金に替えられるのでしょうか。

東北大学の歯学研究科では亡くなった方の身元確認をされていたと聞きます。
「材料なくなるまで」とお金が無い人にも出していたラーメン屋。
自分の家族や親戚が亡くなっているのに行方がわからない人を探す活動に身を投じる人。
多くの企業の超法規的支援などをされたことなど、あの時多くの人が「今自分ができることを、誰かのためになることをしよう」と思えていたように感じます。

私は当時、「自分が強くいなきゃ、自分が崩れたら皆崩れる。」と考えていたのですが、多くの人がそんな気持ちだったと聞いています。

 

それはきっと、当時から今までずっと変わらないことなのかもしれません。
「今自分ができることを、誰かのためになることをする」
そんな人があふれる世界を、“助け合いの社会”をこれから作るのです。

なぜなら私はその“優しい社会”を見てきたらです。
どんな心から出てきたものかはわかりませんが、
そのアウトプットは間違いなく“優しさ”だったのです。

さて、自分にできることを、誰かのためになることをやっていくとしましょう。
多くの命の上に、今の生があるのだから。

 

何より、東北から反攻を始めねば。
いつまでも支店経済だとか言わせてはいられないわけです。
東北から世界的企業を建てぬことには格好がつかぬと思うのです。
なにせ東北は素敵な上に、なんとも度し難いところなのだから。


拙い文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

プランドハプンスタンスでいこう

どもども。青木です。

 

さて、タイトルについてですが、プランドハプンスタンスって知ってますか?キャリア論における“計画された偶発性”という理論です。
ざっくり言うと偶然起きた出来事を積み重ねていくキャリアスタンスのことを指します。


ざっくりすぎたので…今調べました。

以下引用fromコトバンク

「計画された偶発性」理論のこと。
スタンフォード大学のジョン・D.・クランボルツ教授が提唱したキャリア論である。
・ キャリアは偶然の出来事、予期せぬ出来事に対し、最善を尽くし対応することを積み重ねることで形成されるというもの。
・ 予期せぬ偶然の出来事をプランドハプンスタンスに変えるには以下の5つの力を磨いておくことが大切であると言われている。

○好奇心(Curiosity):新しい学習機会を模索すること
○持続性(Persistence):失敗に屈せず努力をすること
○楽観性(Optimism):新しい機会が「必ず実現する」「可能となる」と捉えること
○柔軟性(Flexibility):信念、概念、態度、行動を変えること
○リスク・テイキング(Risk-taking):結果が不確実でも行動を起こすこと

 

私は基本的にプランドハプンスタンスのキャリアを踏んでいる(借金取り、ホスト、英会話、パナソニック…)のですがその裏にあるのは

 

今はどんな状況にあろうと最後は必ず整う

 

という思想です。
…なんでしょう、いつもそう思ってるんですよね、なんとなく。

だから私は「大丈夫なん?」と訊かれると「大丈夫!」って答えてます。
なにせ群馬に帰っていつも墓参りを欠かさない私は青木家4000年の加護に守られていますからね。…ちょっと盛りました。

 

さて、昨日は少し迷う決断をしました。「これでいいのかな」と思う時は何度かあります。そしてそれは決まっていつも、良い決断であればその後良いことが、微妙な決断であればその後悪いことが起こるジンクスがあります。

 

はい、その後。

 

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あっ、才くんブレてる…。

この3人はシリコンバレーで出会った3人。
才くんはSVから東京へ転勤に。

そしてちょうどこの時期は青木が海外に行きまくっていた時期で、Facebookの「過去の今日」にシリコンバレー関連の記事が流れてくる。

 

「自分のプロダクトを持って、シリコンバレーに殴り込みに行くぞー!」なんてことを話していました。

きっと良い決断をしたのでしょう。

むしろ決断に良いものも悪いものもなく、良いものにするか悪いものにするかは自分次第なのだから。

 

ということで、ほふく前進第五くらいのペースではありますが、ちゃんと土と草を掴んで進んでおります。
才くんに「苦労話ばっかりw」と言われてますが、そんなもんです!笑

ということで、またね!あでゅー!

川崎町で垣間見た最先端 ―信用経済の芽吹き―

どもども。ごはんこと青木です。

 

先日、穂波会の先輩である中安さんと朏さんが活動されている川崎町に行ってきました。

すごくムズカシイのですが、エネルギー本位制という理念を掲げ、円に頼らず自活していく方法を模索しています。

その中でいくつもの気づきがあったので紹介していきます。

 

まずはこちら。
川崎町の定食屋さん、まさるより。

 

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見てこのシステム。

おっちゃんとおばちゃんで切り盛りしているのに代行までやってしまう。
誰が運転してその間誰が回すのだろうか…と不思議な気持ちになった。

これ、スゴいシステムですよね。
多分飲み会なんかやったらたいていの人は自分の家族が迎えに来てくれて、『○○さんんも一緒に乗ってってけさい!』なんて言いながらあぶれた人を乗せてってあげるんじゃないかな。

しかも地元の人しか来なかったら大きい宴会も1件とかで済んでしまうかも。
もしそうだとしたら「お店で待っててねー」なんて言いながらお客さんを送って、待ってるお客さんは残った料理をつつきながら待てるのだろうか。

妄想は止まらないものの素晴らしいシステムである。

 

 

さて、次はこちら。

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壱きもち。である。

そう、ただの木の板である。

驚くなかれ。

 

これは川崎町のNPO、「資源を守る会」の通貨なのである。

多くの里山自治体にもれず、川崎町も山林が年老いてしまい、間伐が必要だ。
しかし林業は儲からないため木はぼうぼう、下草は生えず、山が弱っている。
そこで、森で木を伐採することでこの木札をもらうことができて、
これを使用することでNPOの会費がタダになるということだ(たしか)。
川崎町内で使える地域通貨を育てていきたいという話だった(ように思う)。

 

これは本当に興味深い。というのも、青森市が少し前に雪かきをするとポイントがもらえて、商品券と交換できる、というものだ。

https://mainichi.jp/articles/20171206/k00/00e/040/286000c

 

これはイケてるようでイケてないと考えている。

というのも、世界を巡る円の価値と地域課題の解決にギャップがあるためだ。
ニーズを価格差が適切に表していないといえる。
というのも、青森でやっているお店でパンが100円で売っているとする。
それに対して同じクオリティのパンが東京で1000円するかというとそれほどの差は考えにくい。

では雪かきのニーズはというと青森のニーズの方が東京よりも10倍なんてもんじゃないくらい高いわけだ。東京では雪かきをしなくたってせいぜい電車が遅れたり、ノーマルタイヤが原因の事故が起こるくらいで済む。ところが青森では雪かきをしなければ物流が止まり家は潰れ大変なことになる。その名の通り、地域課題は地域によってその課題の大きさが異なる。

 

そこに世界を巡る円をぶつけるのは非常に相性が悪い。
なぜならそこには"相場”が存在し、そこからは極めて平均化された価値が算出されるためである。

あたかもメートルの定規を使って尺を基準に作られたものを図るようなもので、
なんとなく合わないのだ。

労働を円に変えようとすると「これは安いバイトだ」「割がいい」などと考え始める。
ところが地域のための労働を地域で消費し切ることができればもっと多様な価値提供が可能になる。

例えば今東京では白菜が500円くらいするが、当然出荷できない小ぶりの野菜は農村で余っている。そういった「円にのせると値段がつかないもの」にこそ地域で消費することに意義がある。

それは地域で産み出した円を地域で消費しましょう、という既存の表面的な地産地消ではなく、“円に乗らない価値”を地域で消費することで地域の持つコミュニティ機能が飛躍的に上がることを意味する。

円を稼ぐ仕事はあんまりしていないのだけど、雪かき職人みたいな人が出てきて、食うのには困ってないよなんて人が出てこれるのだ。

しかもスゴいのは、そういった恩義の関係という性善説に頼り切った発想を多くの人が共有しているというところだ。

 

なんかこれはもう見てもらわなきゃわかんないんだよね。

 

といいつつ説明を試みよう。
地域で生きるということは人との繋がりなくして不可能である。
その中で恩義のやり取り、貸し借りが互いに大量に行われることで記憶不可能なものになり、ふわっとした“信頼関係”が構築される。

そのやり取りの早さと量が物凄いのである。

 

まぁ、これを実現できた背景として中安さんたちが出会った現地の人たちの受容性の強さとか、しげおさんのスーパークレバーなところとか色々あるんだけどその辺は行ってみないとわからんと思う。


講釈をたれたが通貨に対する理解が自分は不足していると感じている。
銀行云々もよくわからんし、発行しすぎると価値が落ちる、なんてのも知識として知っているが腹落ちしていない感じだ。ここで書いたことも誤っているかもしれないが、少し自分の頭の整理として駄文を散らしておくこととする。

“人はもっと心地よい距離感で繋がれる”そんなことを感じた川崎旅でございました。

また行きます。

 

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たくじさんが「youtube見た」と言って作ったロケットストーブ。
やってみようがすぐできるのもいいよね。