差別を乗り越えるコミュニティの力

どもども。青木です。

 

Yahoo!ニュースでこういった記事が流れてきました。

 

news.yahoo.co.jp

 

学生の時、私はハンセン病という病気に出会いました。

2013年にフィリピンを襲った超大型台風ヨランダ。
その台風の復興支援ということで日本財団のチームHOPEというプロジェクトで、
かつて世界最大のハンセン病各離島だったクリオン島へ行ったときのことでした。

ハンセン病がもたらした熾烈な差別の歴史を学びながら、
現地で生きる人達に触れてきました。

その中で気づいたのがコミュニティの力です。

確かに後遺症に苦しみながら孤独に苛まれる人もいる。
しかし多くが助け合いながら、家族に囲まれながら暮らしていました。

それを見て私は「なんと幸せなことか」と感じたものです。

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ハンセン病回復者のクラリータさん。

■たとえ差別がないとしても

私の曽祖父は目が見えません。
熊に顔を引っかかれて片目を失い、鎌を打ち直していたところ欠けて、飛んできた刃が目に入って失明しました。

曽祖父は散歩に出たりしていましたが、特に誰かと話しをするでもなく孤独を感じていたようでした。一緒に暮らしていた時は帰ってきてよく遊んだりもしていましたが、そんな中でも曾祖母の名前を呼んで「いねぇんか…」と寂しそうに呟く声は印象に残っています。
家族から疎まれていたわけではありません。
ですが、地域のコミュニティから完全に分断されていた中で曽祖父は何を思っていたのか、とたまに考えをくゆらせてしまいます。

幸せだったのか、と。

 

■壮絶な日本での差別の歴史

私はクリオンから帰ってきて、群馬にもハンセン病の隔離施設があることを知りました。祖父が大工なのですが、若い頃に入所者の家を普請したそうです。

その時の話しをしてくれたことがあります。
「夜トイレに行ったらぬっと現れ、鏡に映っていた顔がおっかなかった。
 ただ、だんだん通って行けば慣れもしてくる。車で町まで送ってあげたり、
 昼飯を一緒に食べたりしているうちに仲良くなって、サザンカの苗木をもらった。」

その苗木は今も祖父の家に植わっています。

私はそこに興味を持ち、群馬は草津にある楽泉園へ行ってきました。

人気がほとんどなく、ガランと、静かな所内には耳が聞こえなくなってしまった入所者のためにオルゴールが哀しげに鳴り続けていました。

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入所者の残した歌。らい予防法廃止(平成8年)について。

所内にはこんな歌が至るところにありました。
ハンセン病を国が差別していた法律が廃止されたのは平成8年。
まだまだ法律が廃止されたのは最近のことでした。

日本でのハンセン病差別は本当に激しいもので、
ハンセン病にかかってしまった人は一生を納屋の中でひっそりと暮らしたり、
見つかって隔離施設に送られ、家族も同じ土地で生きていけなくなりました。
それだけに飽き足らず、隔離施設に入った人達は結婚を禁じられ、断種・中絶が国の手で行われるというおぞましい実態が日本中で繰り広げられていました。

家族から「頼むから縁を切ってくれ」と言われた手紙、
家族と連絡がつき、骨を取りに来たのにもかかわらず持って帰れずに電車の中に置き去りにされてしまった骨壷の話しなど、想像を絶する苦しみがありました。

差別され、社会からつまはじきにされてしまった彼らの生に対する考えが強烈に印象づけられた石碑があります。

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楽泉園納骨堂前の石碑

こんな石碑は見たことがありません。
これほど心に訴えかけてくる一言が他にあるのでしょうか。
「差別のない世の中を」などという甘い言葉ではなく、
そこには差別の中で生きて、苦しんできた人達の生々しい声がありました。

しかしこの事実を多くの人が知らない。
彼らの声が私達に届かないほど遠くへ、隔離されていってしまったのです。

分断されては、いけないのです。

■今ある生をどう生きるか

楽泉園で見てきたハンセン病の実態はクリオンでのものとは明らかにかけ離れていました。

家族や周りの人達に囲まれながら、体は不自由だけど笑顔で笑っていたクリオンの人達に対し、家族から見てみぬふりをされ、人として扱われることなく今もひっそりと死を待つ人達がいました。 〈h4〉ハンセン病の、この暗く哀しく壮絶な歴史は、人間を究極的に独りにさせて作り上げた歴史です。家族から切り離し、子を残さなくし、パートナーすらも作らせなかった。その孤独により人々の生きる気力を失わせたのです。

差別が積み重ねてきた過去はどうしようもないものです。
ですが、それを乗り越えた先の生が、彼らにはもうないのです。

先日東京では東京レインボープライドというイベントがありました。
このイベントのパレードを見たのですが、本当に楽しそうでした。
主催したNPOのテーマは次のものです。

すべての愛に平等を。

私たちが未来に求めるのは、
特別な権利や、特別な豊かさではありません。
マイナスをゼロに。
同じことを、同じように。
愛する人を、自由に愛する。
そんな、あたりまえの「平等」を、 実現したいだけなのです。
キース・ヘリング生誕60周年の2018年、
彼の作品と共に掲げたテーマは、 「LOVE&EQUALITY」。
すべての愛に、平等を。
また、あらたな一歩がスタートします。

差別や偏見に苛まれる人が求めるのは「当たり前」です。
「当たり前の人生を当たり前に生きる」ことが特定のレッテルが貼られることによりできない歴史がありました。

 

その歴史を超えるためには、団結が要ります。
傷を癒やし合い、声を挙げ続けるための団結です。

 

人は孤独では何も成し得ず、
いつしか火は消え、歴史に埋もれていってしまうのです。

 

 

 

今度は公民権運動の話しでもしましょうかね。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
1人でも多くの方が人権や人との繋がりを考える機会になっていただければ幸いです。