幸せと不幸は同時にやってくる(長崎食レポ)
さて、こんな時間に筆を取ろうと思う。
今日はほんとうにたまたま、長崎泊になった。
競艇場を後にし、
大村から揺れるバスの中で思い出したことがあった。
以前たまたまイベントでお会いした宇田川先生のことだ。
『長崎に行く際は美味しいお店を紹介するのでぜひご連絡を。』
そう、宇田川先生は以前長崎大学で教鞭を取られていたのだ。
何の気なしに連絡すると、宇田川先生からいくつかのお店を紹介していただいた。
そう、宇田川先生は以前長崎大学で教鞭を取られていたのだ。
何の気なしに連絡すると、宇田川先生からいくつかのお店を紹介していただいた。
急遽青木の相手をすることになったのは長崎でドットジェイピースタッフとして活動している学生、田中和人。集合時間は22時。
ちゃんぽんも食べたかったのだが、時間が時間だ。諦めるしかない。
寝落ちしそうなところをなんとか我慢し、そこで向かったのが一軒目。
雲龍亭だ。
一口餃子が有名な店らしい。
メニューはA4一枚にまとまっている、といえば聞こえはいいが、10種類もない。
『メニューが少ない店は美味い』
青木の経験がそう囁いた。
我々は一口餃子とブタニラを注文した。
先に現れたのはブタニラだ。
一般的に人間は視覚から情報を取り入れ、脳で編集し、それが何かを判別。記憶を呼び起こして、そこに関連付けられている反応を呼び起こす。
諸君には少し難しいかもしれない。
この時起きたのはそんな次元の話だ。
見た瞬間に箸が動く。
そんな経験をしたことがあるだろうか。
達人同士の立会では本能的に相手の間合いに入らないように身体が動くという。
まさにその域である。視覚情報から様々な工程をバイパスし、いきなり反応に入ったのだ。
「香りはどうしたww」
などという野暮なことをのたまう人間がいるかもしれない。
視覚情報である光と、嗅覚細胞に付着することで初めて感じる化合物では当然光の方が早い。中学校の科学からやり直すといい。
閑話休題。
そう、プルップルの卵と芳醇な香りのごま油、そして肉である。
結果は
ビールが吸い込まれた。
そう、次の瞬間私のビールは半分になっていた。
おわかりいただけるだろうか、この恐怖。
こんな美味しそうな面構えをしていながら、その実ブラックホールだったのだ。
しかし、雲龍亭の攻勢はここで止まなかった。
おわかりいただけるだろうか、これが一口餃子である。
それも二皿目。
そう、気づいたときにはビールはおろか、餃子そのものすら皿から姿を消す。ニラの味がかなり効いていて、まず我々は次の日女性と話すことを諦めた。
餃子を一口放り込むとビールが二口消える、そんな不思議な餃子であった。
そう、柚子胡椒である。
通常の柚子胡椒は限りなく黒に近い黄色であるが、ここの柚子胡椒は赤い。唐辛子かというとそうではないし、なによりしつこくないのだ。この柚子胡椒だけでビールもご飯も食べられる。
餃子と柚子胡椒の連携の取れた十字砲火により、我々のビールは跡形もなく消えてしまった。
長崎に住んでいないのが不幸になる味。
私はそう言い残して店を後にした。
しかし、我々のミッションはこれで終わらない。
二軒目だ。
実は一軒目に行こうとしていたのだが、店が見つからず後回しにしたのだった。
これが幸運であった。
僥倖。
そして努力。
二軒目のために、我々は餃子にご飯という最終兵器の使用を思いとどまった。
ここで餃子にご飯を食べては我々の腹も心も満たされ、何もできないと直感的に悟ったのである。
それは多分に魅力的であった。
しかし、我々が目指すものは喉の渇きを潤す一杯の水ではない。
滾々と湧き出るオアシスを探す旅に出たのだ。
ここでその旅を終わらすわけにはいかない。
それこそ、石清水参りである。
そんな葛藤をくぐり抜けた先に。
そう、二軒目の名は漁火という店だ。
ウチワエビ、というエビらしい。
どうも身が少ないし、なんだこの変な形のエビは。だいいち高い。
しかし宇田川先生がおすすめするこのエビを食べないことにはこの店を後にすることはできないだろう。なぜなら我々は一軒目で宇田川大先生の味覚にオトサれているからである。
いざ、実食。
プリップリである!
このウチワエビを評するにはこれだけで十分だ。
そう、かつてないプリップリなのだ。
口の中で踊る。
ふとまたその姿を見ているとなんと雄々しいのだろうか。
天に向かってその腕を突き出し、なんとまだ動いているではないか。
生への渇望を抱きながら、今まさに我が身体の一部にならんとしているのである。
それはプリップリになって至極当然であろう。
さて、そのエビに長崎の甘い醤油をつけて食す。
もう、ワオ!!
ワオ!!って感じ。
お口の中がワンナイトカーニバル。
しかしこれでは終わらないのがウチワエビなのか、宇田川先生。
「お味噌汁にしてくれるはずです。」
私はすでにウチワエビをはじめとした刺盛りで出てきた長崎の海の幸の波状攻撃を受け、心神喪失状態にあった。そこに悪魔の囁きが響く。
「お味噌汁にしますか?」
ここでノー、と言える人間がいるだろうか、いや、いない。
エデンを外側から見たものは、中に入ってみたいと考える。
いくら触れてはいけないと言われても、その実に手を伸ばす。
人間とはそういう生き物なのだ。
抗えないものの前で人は無力であることは歴史が証明している。
我々はついに、禁断の果実に手を伸ばした。
この紅々とした輝き。
赤備えで有名なかの武田騎馬軍団がその旗印にしようと思ったのではないかと歴史のロマンに意識が飛ばされそうになる。
恐る恐る一吸いした瞬間。
僕の意識は無限の彼方へ飛ばされていた。
“甘いものが好き”という人は多い。
しかし、だいたいそういうことを言う人間の頭はポッピンシャワーである。
低温状態では感じにくくなる甘味を、砂糖や脂肪をボディブローのようにこれでもかと効かせたものを“甘いもの”と勘違いしている。
甘味とは何か。
甘味とは、包容力である。
人は幸福を知る時、同時に不幸になる。
“出会わなければよかったのに―”
今までにどれだけの人がこの想いを抱いただろうか。
出会ってしまった幸福が、
逢えない不幸が、その後の人生に容赦なく現実を突きつけてくる。
あぁ、なんと我々は幸福であり、不幸な存在なのだろうか。
幸福も不幸も、共に人生のスパイスなのであることを教えてくれた―。
このあたりで、私の語彙は目の前の世界を捉えることをやめた。
最後はいつものバーで。
近況を聞いていただきながら。
日々の生活に疑問を感じている人も読者諸君にはいるかもしれない。
しかし、今の人生を悩む必要も、ましてや人生を変える必要などない。
長崎の食にどっぷり浸かる。
それだけで、世界が変わるのだ―。
宇田川先生、ありがとうございました。